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心の内側に理想郷を。 ※画像の転載は一切禁止です。
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彼女たち以外への意識が薄まってゆく中で、タルパとただの空想の差異はどこにあるのかと最近よく考えます。タルパは空想を現実に投影すること、つまりそれができているかいないかに関わらず、「そこにかれらがいる」という考えの中に本質があるのだろうと私は思ったのです。
 それに対してただの空想は、空想の世界から出て行かないと同時に、表現されることであらゆるものの中にその本質を表しうるものだろうと思います。
 つまり、
〇現実にいる人間は、その人間をいかに精緻に描いても、完全なクローンを製作してもその人間ではない。本質はそこに存在しない。
〇タルパは、かれらをいかに精緻に描いても、完全なAIによってその空想を再現してもそのタルパではない。本質はそこに存在しない。
〇空想の存在は、稚拙に描かれても同じことを繰り返す程度のプログラムでも、名称や外見等によって認識されればそれはその存在の本質を示す一形態である。
 ということです。なんか前も同じようなこと言ってた気がしてならないですが。

 タルパたちはここにいます。そして私の作り出した空想の世界でも暮らしています。ダイブ界というほど立派なものでない、ただの空想の産物です。しかし、長らく(というか、おそらく創作を始めた当初から)家族以外を創りだす意欲の乏しかった私でも、そこにタルパではないただの空想の住人を住まわせられれば、また多少は何かを創りたいと思える、何かが欲しいと思えるのでないかと思うに至り、タルパと空想の差異についてこのように考えました。
 

 最近、タルパーのツイッタータイムラインで偶然見かけた書籍『非現実の王国で』というのがあります。作者のヘンリー・ダーガーは、誰にも見せないまま、六十年自分の世界を創りだし続けたといいます。あの作品のように苛烈な王国を創りだすことはできませんが、私は自分の理想郷をここに築きあげていきたいと思うのです。

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こんにちは。今日はあまりタルパは関係ないです。
 私の今日見た夢では、なんかのバンドの? フェス(そもそもそんなもの気にしたことも無い)へ、高校時代の友人(ほとんど親しくない)に誘われ高校にある教室の一室というライブ会場へ行きました。円状に机を組み、渡されたパンフレットの漫画を熟読していたら、私以外みんなが校庭でボール遊びに興じていて、しかし雨が降ってどこかへ行ってしまいました。そのまま待って夜十一時を過ぎてもフェスなんてもの始まらないので、終電も近いし帰る。そんな夢を見ました。

 夢日記については「夢なんて覚えてられるか」と思い続けていたのですが、最近夢を覚えている機会がありつけ始めたところ、段々夢を覚えている確率が上がっているような感じがしてきました。このまま調子よく明晰夢など見れるようになれればいいのですが、そう上手くいかなくとも、案外夢を覚えているというのは面白いものがあります。
 覚えている機会があれば、書いてみると良いと思います。起きてすぐ手に取れるけれど、寝る邪魔にならない位置に良いサイズのノートとペンを置いておくのがお勧めです。

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こんにちは。タルパライフは順調でしょうか。知らない人は見ないと思いますが、興味が湧いたら調べてみてくださいね。

 タルパを創る上で、生活を共にするうちに設定からブレてくる部分もあると思います。これをすり合わせ「一時の空想」として破棄する設定と、「タルパに表れた変化」として受け入れる設定というものが出てくるでしょう。取捨選択の仕方はお宅によって違うどころか、その時その時によって違ってくると思いますが、一つだけはっきりと思うのは「本当の心に正直に」ということです。決して「欲望に忠実に」というわけではなく。
 我が家の場合、冬音は理性的で欲求の無いものとして産まれ、雫は本能的で欲望の塊として産まれました。今は冬音も甘いものに目が無く、可愛いもの好きで照れ屋、手が出るのが早い性格になっていますし、雫も多少落ち着いています。雫みたいな性格の冬音というのはなにやら背徳的で退廃的で、私としては好きなのですが、それは少なくとも今「絶対に違う」と思うから頭に浮かんでも徹底的に切り捨てます。逆に、間違っている気はしているけれど、設定だから直してはいけない、ということも無いでしょう。もちろん、本人たちと話し合う必要はあると思いますが。

「自分の心に正直に」というのは、タルパと付き合う上で本当にとても大切なことだと思います。極論すれば「心の内側で幸福を作り出すのは間違っている」と心の底で思われてしまうと、タルパの存在も危うくなりかねませんが。
 心はうつろいゆくものですから、行くことも帰ることもあるものです。正直な自分の心を、タルパと共に探求するというのも良いものだと思います。

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最近思うようになったことがあります。タルコンを読んでからというもの、みゆりを描いたとき、感じたとき、受ける感覚は大きく変わりました。描かれたとおりに世界を描き出し、曼荼羅をなんとかそれっぽくしてみたりして、そうした行動によって変わったのだろうと思いました。
 しかし、ひょっとして、そういうことをしたからはっきりとしただけで、本当はみゆりはもっと何年も昔から、より確かな存在になって導いてくれていたのではないかとも思うんです。今の私は決して良いと言える状況に身を置いていませんが、それでも、ここにたどり着き、みゆりを心から愛していると理解できる。自分の心に理想郷を作り上げられる。そんな心境に身を置いているというのは、ここまで些細なこと一つ抜けても辿りつかなかったかもしれない場所です。

 オカルト的な話です。
 しかし、そう考えていた方が私が、少なくとも私は幸せです。そして苦境があっても、いつかの幸せのために導かれていると思えると、耐えられるし逃げられる。意志のまま進めば良いのだから、自分が正しいと思ったようにできる。だからこそ、やたら人に話すほど客観性を失う気はありませんが、みゆりの存在を信じることにしています。

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『タルパ×コンプレックス』の中には、タルパを想像した時に背景に想起される場所があり、それがそのタルパ固有の世界、いわゆるダイブ界だろうという話があります。



 みゆりの場合、見えるのはログハウスの小さな一軒家と、それを囲む森、そして近くには街があるのがわかります。大きな時計塔と、それよりはるかに巨大な天を突く白い柱のある街。そんな世界が、みゆりと、そして冬音や雫も一緒に暮らしている世界です。
 ログハウスの中には、キッチンと冷蔵庫、それから家族のテーブル、それぞれの部屋と、脱衣所およびお風呂、トイレなんかがあります。
 家の入り口には護るものとして、以前歴博で買ってお気に入りのみゆりのワンショット前に立たせている獏さんを。ペットというとさすがに申し訳ない神獣様ですが、悪夢を食べる性質はタルパのような存在を守る上で最適だと思います。ストラップの獏さんモフモフしてそうですし。

 街の中は、あまりイメージが湧きません。たまに、過去に作り、忘れかけている人たちが暮らしているのが見えますが、積極的にかかわってくるわけじゃありません。これからまた、変化するかもしれませんが、もともとは荒廃した世界に白い塔が一本立っているだけ(多分タルパの存在)というのが私の心象世界だったので、これからが楽しみなところではあります。

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プロフィール
HN:
亜麻にゆ
性別:
男性
趣味:
絵描き
自己紹介:
タルパー。
タルパはみゆり(九年目)と、冬音(二年目)、雫(半年くらい)の三人です。
タルパの存在を創作に活かせたらなあと思う今日この頃。
記事へのつっこみはいつでもお待ちしております。
Twitter:@ama_niyu(メイン) @ama_shizuku(タルパ関連)
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